2022-06-28

9時半に起きて朝ごはん、フランスパンとヨーグルトと紅茶。昨日から便秘でお腹が張って辛かったのでヨーグルトを大量に食べて(飲んで?)いる。おかげで朝から快便だった。

11時ごろ自転車で図書館に行く。炎天下、と言っても今日は湿度がそんなに高くなく、風を切って走っていると暑さは大して不快にならない。夏が好きだ。図書館に着いて自転車を停める。すぐに、今日が閉館日だったことを思い出した。開・閉館日を事前に調べてから家を出るという習慣がどうしても身につかない。返却ポストに本を返すだけ返して、さっき来た道を引き返す。

帰りに薬局でトイレットペーパーと化粧品を買う。レジのおばちゃんと配達員のお兄さんが話す声が聞こえる。「○○さん、なんか綺麗になりました?」「嫌やわぁ、こんなおばちゃん喜ばしても何も出えへんでぇ」(一同、笑い)。定型文の会話、今この瞬間同じ場所にいるということの確認作業。動物同士のグルーミングみたいな会話。私なら絶対にしない。自分の長所として「周りに流されず、自分を持っている」ところを褒めてもらえることがあるが、定型文の会話というのはまさにその逆で、人間としての自分がない状態だからこそできるコミュニケーションだ。それは人間同士のぶつかり合いを避けるための礼儀でもある。自分を持っているのは長所と言われればそうなのかもしれないが、確固たる自分があり過ぎるのは短所でもある。定型文的なコミュニケーションで周りに流されることと、引きこもって哲学すること、どちらも重要で、二層の重なりの微妙なバランスが人格に深みを与えることになるのだろう。しかし薬局で聞いたあの会話、やはりどうしても私の住むべき世界ではないと思ってしまう。

帰宅して昼食、皿洗い。一昨日のFRUEZINHOにてサム・ゲンデルとサム・ウイルクスがアンコールで演奏した、ミルトン・ナシメントの『ポンタ・ジ・アレイア』を流す。この曲何?聴いたことある、と父が反応する。父の好きなエスペランサ・スポルディングがカバーしたのを昔聴いたことがあったらしい。ちょっと調べてみるとブラジル音楽と白人のジャズ・フュージョンを結び付けた記念碑的な曲ということらしいのだが、全く知らない文脈だ。そういえばアンコールでサム・ゲンデルがサックスでこの印象的なメロディを吹いたとき、客席から歓声とどよめきが混じった声が僅かに聞こえた気がしたが、「この曲を演ってくれるのね!」的なことだったのか。