2022年2月7日の日記(再掲)

※別名義のブログ(現在は限定公開)に投稿したものです。

 

 

 

介護に関わる日々を通して、私が思う「介護」という言葉の意義が変化してきた。

以前は、老人や障害者にの食事や排泄、身の回りの世話を行うことこそが「介護」だと思っていた。本来の語義は大体それで合っているのではないかと思う。

しかし最近、その定義に当てはまる行為でも「これは介護じゃないな」と思うことが多くなった。

わかりやすい例で言うと、トイレ介助を行う際に利用者さん自身の言葉で「○○して」と頼まれたときには、なんとなく「介護」ではない感じがする。「ちょっと醤油取って」くらいの単なるやりとり。

逆に、明らかに「介護」だと思うのは、例えばお茶を飲みたくなさそうな利用者さんに何とか水分補給していただこうと、あの手この手でお茶を勧めたりするとき。介護者がいなければ健康を損なう可能性が高い場合には「今、介護をしているな」と感じる。

 

ところで、誰かの言葉で「人に助けを求めるのは一つの技術だから、練習が必要」というのを聞いた。坂口恭平さんだったかな。

チームワークの重要性が科学的に証明される時代になってもなお、何でも自分一人でやれて一人前、という価値観は社会全体に不可視的に蔓延っているように思う。

人に助けを求める能力に欠けるために、膨大なストレスを一人で抱え込んで抑鬱に陥ったり、精神の健康を損なう結果に至る人は、私の周りにも少なくない。かつての私もそうだった。そういう人は健常者のふりをしているが、もう立派な要介護者である。

だから情けない、のではない。そのようにしてあらゆる側面から見れば、すべての人間は要介護者であり、人との関わりとは介護である(介護とは人との関わりである)と言えるのではないか。