2023-03-24

思いつき日記

 

 野菜を買う。

 

 近所の商店街にある八百屋でプラスチックの青いざるに入れて店の外に並べられ、激安価格で売られている野菜を見かけたら絶対に買ってしまう。白菜、ほうれん草、じゃがいも。

 おトクやん、と思って。

 冷蔵庫の中も、常温保存用の100均で買ったプラスチックのかごの中も、安売り野菜でいっぱいになる。

 この食材たちが傷まないうちにどうやって消費していこうかと、そればかり考えるようになる。ごはんは一度にたくさん作ってバイトのお弁当用に置いておく。米もいっぱい炊いて冷凍する。急いでいるときに冷凍の米が尽きて食べるものがない!という状況が生まれることが怖い。でも冷凍して放置しすぎてもよくないんじゃないか、作り置きのおかずも何日後まで食べれるのかわからない。小腹が空いたときに食べようと買った食パンは結局全然食べていない。賞味期限3日過ぎてるけどまだ食べられるかなぁ。パスタを作ってソースをディップするときに使えばいいのか。

 毎食、これ以上は食べたくない、と感じるまで食べたい。米はおかわりできるから好き。

 

 最近バイト先でレポートを書きました。

 

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【強制不妊手術について】

 北海道江差町にある社会福祉法人あすなろ福祉会が運営するグループホームの入居者が、職員に不妊手術を提案され、8組16人が手術に応じた事件について。

 「グループホームでしか暮らせない」「職員がいないと生きていけない」と深く思い込まされてきた障害者にたいして、職員が不妊手術の提案をするということは、事実上の強要です。望まない形で手術を受け、自身のからだを変えられた方々のことを思うと怒りや悲しさ、悔しさで胸がいっぱいです。今回の事件は、人が「その人らしく生きる」という人間としてあたりまえに持っている尊厳をうばったものであり、およそ許すべきものではありません。あすなろ福祉会および全ての福祉団体において、同じ事件が二度と繰り返されないことを願います。

 さて、このような事件が起こった背景には、あすなろ福祉会理事長・樋口英俊氏の「養育不全になった時に誰が責任を取るのか」という発言に含まれるような"親が責任をもって子どもを養い育てるべき"という社会全体の価値観があるのではないかと考えます。

 私は現時点で、パートナーとの間に子どもを作りたくない・欲しくないと考えています。理由のひとつは、現代の日本で子どもを育てていくことが経済的・体力的・精神的に非常に「たいへん」だと思うからです。しかしこの考えは間違いなく、"親が責任をもって子どもを養い育てるべき"という価値観に基づいています。私が子どもを持つかどうかは私の自由ですが、今回の事件について改めて考えたときに、私が子育てを「たいへん」だと思っていることは樋口氏の差別発言と地続きなのではないかと感じ、戦慄しました。私はホーム●●でアルバイトとして働いていますが、●●の入居者の方が妊娠・出産した場合に紹介できる子育て支援サービスはどのようなものか、アルバイトとしてどのように動けばよいかといった知識や経験がありません。加えて、自分自身でさえも子育ては「たいへん」だと思っているのです。ホーム●●の入居者の方が「子どもが欲しい」とおっしゃったとき、今のままでは心の底から応援することができないと感じました。

 自分の生活に他人の支援を必要とする障害者が子どもを育てるとき、必然的に子育てに他人が介入することになります。それでいいのです。何の問題もありません。たくさんの人の力を借りて、たとえ「親同然の介助者がいる」という状況になってもいいのです。"親が責任をもって子どもを養い育てるべき"ではなく"子どもは社会全体的で育てるもの"という意識があれば、グループホーム入居者カップルに不妊手術を提案するような思考に至ることはなかったかもしれない。子育てに限ったことではありませんが、何でも自分ひとりが責任を取らなければいけないのでなく、「人は誰しも他人の支援を必要として生きている」という認識が広まれば「障害者は他人の支援が必要な存在」と区別されることもなく、子どもも育てやすくなると思います。話が大きく膨らんでしまいましたが、私自身がこうした価値観を深く信じて生きていくことが、今回のような事件に対抗するための小さいけれど絶対に必要な一歩になると思いました。また、地域の子育て支援サービスについて知っておくこともグループホームスタッフとして必要だと感じました。

 

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 楽しい内容ではないけど、書きながらやっぱり書くという行為が好きだなと思った。好きというのは違うな、考えを文章にするという行為が私にとって自然で気持ちいいことであるということ。