2023-08-19

 夏バテがひどい。大好きな料理をする気にならず、肉や米やまともな食事を摂らない日が続きなり、体調を崩して寝込んだりした。

 通っている美容室で2ヶ月半ぶりに髪を切ってもらった。「通っている」と言うとなんだか妙に恥ずかしいのだが、ここへ来るのはもう3回目。「通っている」と言ってしまってもいいだろう。その美容室で、担当のKさんと話す。「最近夏バテしててぇ、料理する気にならないんですよー」と私が言うと「僕ピクルス作ってますよ。カンタン酢に野菜入れるだけっす」と教えてくれる。帰って早速カンタン酢に白菜を漬けた。たしかに楽でおいしいし、酸っぱいものは暑い夏でも食欲が湧く。昔から美容師と話すのが苦手だったけど、Kさんは話していて楽しいので好きだ。

 カットの前に、オーダーの参考に光永(ひなた)という吉本の芸人のインスタを見せた。ボーイッシュ、メンズライクファッションの先輩だと勝手に思っている。インスタの投稿の中にはkeuzesのオーダーメイドスーツを着た写真もあって、やっぱりボーイッシュの人は持ってるんや、といたく感心した。その光永(ひなた)の髪を参考に、今回はマッシュっぽいウルフにしてもらった。

 去年まで髪型やヘアセットにさほど興味が無かったが、あるとき好きな人に髪型のことでなんか言われて(具体的に何を言われたかは全然覚えていないが「なんか言われた」という印象だけはある)、コンプレックスを串刺しにされた気分になった。そこから「髪型に興味は無いが、興味を持ちたい」という強くねじ曲がった動機のもと嫌々ながらカットやセットについて調べ始め、気がつくと自分からセンターパートにしたいとか今日は外ハネにするとか言うようになった。不思議なものだ。

 ルサンチマンやコンプレックス、見て見ぬふりをしている自分の弱いところをズブリと刺される痛みが好き。実際はつらく苦しく惨めな思いをして落ち込むが、心のどこかでは「変わるチャンスだ、ラッキー」と思っている感じ。

 

 以前「自分は積極的に子どもを持ちたいとは思わないが、それは知的障害者の妊娠・出産を否定する差別思想と地続きなのでは」と思ったことがあった。自分のなかに「子育ては大変だから私には難しい」という思いがあるならば、おそらく私の場合よりもっと大変そうな知的障害者の妊娠・出産・育児をどうして応援できるだろうか。差別に抗うためには私の素朴な考えを根本的に変えなくてはいけない。私自身が「子育ては大変だけど、いろんな人の手を借りたら私にもできるだろう」と思わなくてはいけない、と自責したのだった。(〈思わなくてはいけない〉の部分、編集で強調マークを付けたい)

 「思う」という素直な脳の働きを意識的に変容させるのは、「タイプではない人を好きになりなさい」と言うのと同じくらい難しい。でも私は差別に抗いたかった。難しいからと投げ出して、自分は潜在的知的障害者を差別してるんじゃないかという思いにフタをしてしまうのが嫌だった。いや、「差別しない人間になりたい」という強い欲望があった。

 結論から言うと私は「子ども、おってもええかもな」くらいに思うようになった。いらないと突っぱねていた女性が気楽に「おってもええかもな」と思うようになったのは本当にすごいことだ。今改めて、私が勤務するグループホームの利用者様が妊娠・出産を希望したらどうだろうかと想像してみると、私はきっと「いいですねー!」と言って応援する。以前の私はそれが言えなかった。

 私は〈思わなくてはいけない〉を実行したのだ。自分を褒めてあげる。私ってすごい!