ブーム(2025年1月31日)

 私は飽きっぽい性格だ。何かに夢中になって、毎日そのことばかり考えていたかと思えば、ある日突然対象への興味を失い、夢中になっていた感覚を綺麗さっぱり忘れてしまう。

 つまり、マイブームが短いスパンでころころ変わるということなのだが、例えば私は本が好きで、去年は暇さえあれば本を読み、外を歩きながらでも本を読み(危ないので気をつけましょう)、休みの日にはお気に入りの個人経営の小さな本屋に行って本棚を隅々まで凝視し、これだ!と思った数冊を買って帰るのを楽しみにしているような、「本ブーム」のど真ん中にいたのだが、年末に突然、韓国語の勉強をしよう!と閃いてDuolingo(語学学習用のスマホアプリ)を始めてから本を一切読まなくなった。こうした急展開に周りの人からはしばしば驚かれるが、マイブームの大波の流れに身を委ねて急に何かを始めたり急に何かを辞めたりするのを、私自身は大変心地よく感じている。

 そうして一時の「本ブーム」が去った後、韓国語の勉強(Duolingo)とポケポケ(『Pokémon Trading Card Game Pocket』の略、スマホアプリ)がマイブームの座を勝ち取り、ブームの当事者は一日中スマホに釘付けになる日々を送っていたが、ある日友だちから予期せぬLINEが届く。

遅くなっちゃったけど誕生日おめでとう

 メッセージに続いて見慣れないリンクが送られてきて、それはネットで使える図書カードだった。彼女は、数年前に私がブログを毎日書いていた頃(当時かなり長い期間「文章ブーム」が続いていた)ずっと面白がって読んでくれて、たびたびありがたい感想を聞かせてくれて、ブームが去ってブログを書かなくなってからも「またブログを読みたい」とこれまたありがたいことを言ってくれる人で、こんなに私のことを応援してくれる友だちは他にいないのですが、その友だちから図書カードが送られてきた。驚きと嬉しさで早速お礼のLINEを送ったところ次のような返事があった。

たくさん本読んでね

 私は急に申し訳ない気持ちになった。だって最近全然本読んでなかったから……。しかし数秒後には申し訳なさが煙のように霧散し、代わりにこう思った。また本読んだらええやん。こうして「本ブーム」は、数ある趣味の一つとしての「読書」に姿を変えて再び私の前に現れた。彼女がくれた図書カードを使って早速ネットで本を買い(最初にハン・ガンの最新作『別れを告げない』を注文したところ在庫切れで注文キャンセルとなり、キャンセル後にポイントが返金されないというトラブルを経て、別の本を注文し)、今日の昼ごろに置き配で家に届いた。買ったのは尾久守侑『倫理的なサイコパス ある精神科医の思索』、姫野桂『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』の2冊。『倫理的なサイコパス』の方を少し読み、久しぶりにSNSのジャンキーな文章ではなくお金を払って読むちゃんとした文章に触れたことで、ブログを書きたいという気持ちにもなった。これが「文章ブーム」に成長、するかはまだ分からない。

 ところで去年はなぞかけがマイブームだった時期もあって、今ぱっと「成長」と「整腸」でなぞかけの問いが作れそうだなと思ったのだが、整腸と言えば、私は昔から便秘と下痢を繰り返す体質で、まあ体質だし仕方ないと思って市販の胃腸薬を飲んだりしながら一生付き合っていくつもりでいたが先月とうとう通勤電車の中で猛烈な便意と腹痛に襲われ途中下車したせいで仕事に遅刻してしまい、これはどうにかして改善しなければと一念発起して消化器内科に通い始めた。ホームページに書いてあることが分かりやすくて信用できそう、という理由でわざわざ電車で20分かかる病院まで通うほどの(謎の)気合いの入れようである。まずは大腸内視鏡検査をして大きな病気がないか確認した後、現在は整腸剤と併用していろいろな薬を試しているが、便秘と下痢という相反する症状に担当医師も苦戦しているようで、前回の診察ではいろいろ話した結果、便を硬くする薬と便を軟らかくする薬を出してもらうことになった。処方箋を薬局に持って行くとベテランふうの年配の薬剤師が、それぞれの薬の効能を説明しながら「けったいな組み合わせやな」というようなことを言った。

 何の話か分からなくなってしまったが、今はただこの整腸ブームの結果がいい形で出る(うんちのように)のを願うばかりだ。

続・テニス肘になったよ日記(2024年9月3日)

 テニス肘になってしまい、きのうに続いてきょうもバイトを休んでいる。

 

 昨日よりもずいぶん痛みはおさまり、両手でタイピングしたり(昨日は左手を動かすと痛むのでほとんど右手だけでキーボードを叩いていた)、料理や洗い物もすこしできるくらいに回復した。痛み止めの薬と湿布が効いている。しかし、そこそこの重さがあるものを持ち上げたりすると痛いので、まだアルバイトに復帰できるほどではない。

 アルバイトで生計を立てている者にとってバイトに行かないということは、そのぶん給料がなくなるということだ。引っ越し先で新しい家具や生活用品を買ってぽーんとお金を使ったのに、このタイミングでバイトを休んでしまってはお金がなくなる一方だと焦りを覚える。家で何もしなくていいのは気楽なように思えるが、焦ってしまうと心は休まらない。

 

 きょうは午前中にたまっていた事務的なことを済ませて、昼すぎからちょっと出かけることにした。家から歩いて行けるきょりにある本屋さんに行ってみる。木製のすこし重たいとびらを開けると、さほど広くない店内に古本が並んでいる。この季節に空調がほとんど効いていないのは予想外だった。室温は外の気温と大差なく、うす暗い照明と大きな本棚のプレッシャーもあって、実際の温度よりもじっとりと暑い気がする。わたしのほかに客はおらず、これ幸いとゆっくり店内を見てまわる。自己啓発本、漫画や絵本、歴史、哲学、画集などひととおり眺め、結局『ドラえもん[恋愛編]』を買った。

 

 本屋を出たその足で近くの喫茶店に入る。素朴な雰囲気で、店内は広々としている。三歳か四歳くらいの子どもを連れたお母さんが窓ぎわの席で店主と親しげに話しており、わたしはすこし迷ってその二つ隣のテーブルに座った。子どもはお母さんのスマホで「おかあさんといっしょ」の動画を見ていて、お母さんは店主に「動画を見ているあいだだけは静かにしているんだけど」と話している。店のインテリアをながめ、「このお店をひらくのにいくらかかったんだろう、毎月の家賃はいくらかかるんだろう」と浅ましいことを考えた。

 ドリンクメニューは選択肢が多く、迷ったがホットの紅茶を注文した。ふだんはストレートで飲むことが多いが、運ばれてきた紅茶はすでにミルクと砂糖がたっぷり入った状態だったので意表をつかれた。甘ったるくてちょっとずつしか飲めないが、これはこれで好きだなと思う。さっき買ったばかりのドラえもんを読んでいるとお客さんがどんどんやってきて、あっというまに店はにぎやかになる。子どもが歩きまわったり叫んだりしている、隣の席に座った老夫婦の夫のほうがたばこを吸いはじめる。

 ドラえもんを半分ほど読み進めたとき、突如、客全員のスマホから緊急速報のメロディが鳴り「♪ソレソシレー」が店内にこだました。わたしはすぐに思い出した。今日、大阪府の一斉防災訓練があるということを。しかし、思い出したからといって何かあるわけではなかった。この店にいるわたし以外の全員が「びっくりしたー」、「訓練か」、「これが映画館で鳴ったらどうのこうの」としゃべりはじめ、店の空気がわたしを除いてひとつになった感じで妙に居心地がわるくなった。この場所にひとりで来ているのはわたしだけで、話す相手はいないのだがこの空気に参加しておかないといけないような気がした。5分後にふたたび「♪ソレソシレー」が鳴りひびいたとき、隣の老夫婦が「またかー」とおどろいたのに合わせてわたしも一緒になって「ははっ」と笑ってみた。ぎこちない笑いは店のにぎわいに溶けていった。

テニス肘になったよ日記(2024年9月2日)

 1ヶ月前から違和感はあった。左腕を曲げたり伸ばしたりするときに肘のあたりがどうもピキピキというか、あれ?という感じがしていた。特にスマホを持つとき、わたしは左手でスマホを持って右手の指で画面を操作する姿勢をとるのだが、そのときにスマホを支える左腕がなんか痛いかもしれないと思っていたかもしれない。しかし無視できるレベルの痛みなので無視して過ごしていた。

 昨日の朝。起きると左肘がちょっと無視できないくらいに痛い。肘の外側の関節のあたりがピンポイントで痛く、曲げたり伸ばしたりすると角度によって痛みが増す。スマホで似たような症状の病気がないか調べると「テニス肘」と出てきた。テニスのストローク(球を打ち返すこと)、なかでもバックハンドストロークが原因となって発症することが多いそう。うわー、たぶんこれやろなー。介護(介助)の仕事で腕の力を使ってるしなー。あいにく日曜日で整形外科があいていないので、ネットで調べた、テニス肘の治療に効果的なストレッチなんかを試したりしてどうにかやり過ごしていた。が、夕方になると肘を中心にして前腕から手の先までがズキズキと痛みはじめ、安静にしていてもズキズキは収まらず、角度によっては思わず声を上げてしまうくらい痛い。痛すぎてシャワーを浴びることもできない。これはまずい。折れてるかもしれない。泣く泣く明日のバイトを休む連絡をして、うめきながらベッドに横になって朝が来るのを待った。
 そしてきょう。起きたときから絶対に折れてると思うほどに腕が痛い。なんなら夜中も痛くて何度も目を覚ました。自分がかわいそうで泣けてくる。左腕になるべく負担がかからないよう右半身を下にして、ブレイクダンスの一部分を切り取ってスロー再生したような独特の動きでのそのそとベッドから這い出た。あまりの痛さに「あー」とか「うー」とか言葉にならない声を発しながら、それでも朝ごはんだけはしっかり食べる。「病院に行けばすぐに鎮痛剤をもらって痛みから解放される」と信じ、近くの整形外科が開くまで祈るような気持ちで痛みに耐えた。

 診察開始時間に合わせて整形外科へ向かうが、まだ引っ越して間もないので道がよくわからず、痛くない右手でスマホを操作しGoogleMapで病院の場所を確認する。スマホを片手で操作するのはかなり難しく、画面の端に指が届かなかったり、指の付け根あたりで誤タップしてしまったりした。なんて不便なんだ!と憤りたくなるが、そんなことより肘が痛い。整形外科に着くと保険証といっしょにマイナンバーカードを出すように言われる。カバンからマイナンバーカードを取り出すのも一苦労で、やっとの思いで取り出したカードを読み取り機にかざして認証を進めようとすると機械がフリーズしてしまい、結局保険証だけでいいです、とカードを返された。なんなんだ!と憤りたくなるが、そんなことより肘が痛い。マイナンバーカードを専用のビニールケースに戻すのがまた難しく、片手ではできなかったので受付の人に手伝ってもらった。時間は診察開始時刻を10分過ぎたくらいで、先に来ていたおばあさんの診察が終わったあと、数分後にわたしの順番がきた。
 白い床とあかるい緑色の椅子が清潔な印象を与える診察室で、待っていたのはおそらく50代前後の黒髪天然パーマの院長先生。笑顔はないがわかりやすく丁寧な説明をする人だった。問診、触診とレントゲンを終えて、診察の結果がわかるまで待合室のソファに座って待った。斜め前にあるテレビでは24時間テレビのダイジェスト映像が流れている。24時間マラソンを走り切ったやす子が「24時間で18食たべて、走る前より体重が増えた」と言っていた。肘はずっとズキズキと痛い。10分もしないうちに再び診察室に呼ばれる。診断結果は上腕骨外側上顆炎(じょうわんこつがいそくじょうかえん)、ネットで調べたとおりのいわゆる「テニス肘」だった。骨は折れていないが重度の炎症を起こしているため、完治には1週間かかると言われた。
 飲み薬と湿布の処方のほか、肘の炎症を抑えるために肘のいちばん痛いところに注射を打つことになった。この注射が驚くほど痛かった。なにしろ少しさわるだけで痛いところに針を刺すのだから。腕を台の上に置いて肘を固定し(この時点で痛い)、肘に注射を打たれると、飛び上がりそうになるほど痛い。「いたいたいたいたいたいたい!!」と声を上げるが、院長も看護師も「痛いねー」と言いながら全然やめてくれない。治療なのだからやめないのは当たり前だが、痛いと言っているのに全然やめてくれないことが妙におかしくて情けなくて笑ってしまった。注射が終わって「どうですか?」と聞かれたが、肘の痛みは注射前よりも強くなっている。正直に伝えると院長は「そうですか」と答え、それから「時間が経てばよくなると思いますよ」と付け足した。ホンマかよ、と思いながら、今のわたしはこの天然パーマの院長先生を信じるしかなく、家を出るときの祈るような気持ちとは裏腹に、一抹の不安とズキズキと痛む左腕を抱えて整形外科を後にした。


 家に帰って処方薬を飲んで湿布を貼り、しばらくベッドでしょぼくれているうちに少しずつズキズキという痛みは収まってきて、安静時には痛みをほとんど感じないくらいには回復した。それまではどんな姿勢でもズキズキと耐えがたい痛みがあって、落ち着かなかったのだが、今ようやくほっと一息つける気がする。ただ、少しでも前腕の筋肉に力が入るとじんじんと鋭く重い痛みが走るため、バイトは休まざるを得ないし、家にいてもできることはあまりない。

 

 というわけで、しばらく暇になってしまった。

 

 


 以前と比べてあまりTwitterも動かさず、自分からなにかを発信する機会がなくて寂しいと思っていたところなので、この機会に最近見たものや読んだものなど、思いつくままに記していこうと思います。

 

石牟礼道子苦海浄土―わが水俣病』途中まで読んだ

 

 わたしの大好きな坂口恭平が「師匠」とよぶ、彼と同じ熊本県出身の作家であり詩人の石牟礼道子。ずっと気になっていて、彼女の作品でいちばん有名らしい、水俣病問題を扱ったノンフィクション小説『苦海浄土』をこのまえ読んでみた。
 読み進めると、なるほど、水俣周辺の豊かな自然や、自然とともに生きる漁民たちの日々の営みが水俣の方言とともに生き生きと描かれ、近代の象徴でもある「チッソ」と対比して美しく心打たれるのはたしかだが、水俣病患者を「障害者」として捉えたときに、うーん。
 わたしはここ数年で「障害者に主体性があるのは当たり前」「障害があることを肯定的に受け入れる」という意識を身につけてきたと自負しているし、バイトで関わる人もみんなそういう意識を持っていて、そういうことが当たり前とされる環境に身を置いている。『苦海浄土』に登場する水俣病患者は、なんというか、とても悲惨で、もはや人間としての尊厳を失ってしまった存在であるかのように描かれる。あるいは神性を宿す存在として描かれるが、いずれにせよ障害当事者としての主体性を永遠に獲得できない存在として扱われていて、わたしはそこで、身の回りにいる障害者のひとたちがこんなふうに書かれたらいやだなと思って、どうにも読む気が起きなくなってしまう。
 でも、今は売らずに本棚に置いておこうと思う。

 

・『逃げ上手の若君』アマプラで最新話まで追いついた

 

 引っ越し前後でテレビを見る習慣が途絶えてしまい、しばらく見ていなかったが、昨日の昼に時間があったので最新話までまとめて見た。演出が面白い、作画もいい、CGをうまく使ってるな!と毎話、感動する。最新話のストーリーはかっこよかったな。時行様がかわいい。

 

・本屋さんに行った

 

 大阪府豊中市服部緑地公園のすぐそばにある「blackbird books」という小さな本屋さんに行った。少し前から行きたいと思っていたが営業日とわたしの休みがなかなか噛み合わず、先週ようやく行くことができた。雰囲気のいいお店で、置いてある本はどれも魅力的でたのしかった。立ち読みして迷いに迷って、5冊買って帰った。

 

2023-12-20

 朝、7時半くらいに目が覚める。深夜に暑くて布団を蹴り飛ばして逆に寒くなって起きちゃったせいで、頭も体も重たくぼーっとしている。布団の中でTwitterの、いやXの、イスラエル兵士の非人道的な行動を取り上げた英語の引用リツイート、いやリポストを読んだり、おすすめに流れてくるBL漫画を眺めたりして、ぼーっとしたまま過ごす。薄暗い部屋でスマホの画面に釘付けになり、目が眩むような光を集中力に浴びる。私は確実にスマホ(特にTwitter)依存症だ。用もないのに気づいたらTwitterを見てしまう、特に面白いわけでもないし目もしんどいのに止められない、これは一種の自傷行為だと自分でも思うのだが、そう思うと余計に止められなくなるのでなるべく自傷行為ではないと考えるようにしている。8時半くらいにようやく布団から出ようという気になる。カーテンを開けると明るい日差しが差し込んで健康的に目が眩む。今日は休みだ。

 朝ごはんの準備をする。卵焼き用のフライパンに薄切りベーコン4枚を並べ、強火で焼いて底をカリカリにしてから卵1つ割り入れ、弱火でフタをして目玉焼きのせベーコンを作る。フジパン本仕込みの8枚切りを2枚、トーストにする。お湯を沸かしてインスタントのカップスープを作る。かぼちゃを1口大に切ってレンジで5分チンして、ドレッシングをかけて簡単なかぼちゃサラダができる。あとはヨーグルトに蜂蜜ときなこを入れてよく混ぜる。パンが焼けたらレタス1枚ちぎって、目玉焼きのせベーコンとレタスを焼きたてのトーストで挟む。もう何週間も、だいたい毎日この朝ごはんを食べている。

 よく噛んで、1時間くらいかけてゆっくり食べる。食べながら、BROTHER SUN SISTER MOON 惠愛由とLaura day romance 井上花月Podcast『Call If You Need Me』を聴く。学校で性差別的な発言をした先生がいて、女性の友達同士で連帯して勇気を出して抗議した、という話。私の大学時代にも性差別発言を繰り返す教授がいたなと思い出す。授業中に腹痛を訴えた女性の学生にたいして「妊娠したんか」と笑って言った教授。一瞬で教室の空気が凍りついたのを憶えている。

 思い返すと学校、特に私が体験した環境は異常に閉鎖的だった。教育を受けて成長するどころか、閉鎖空間に充満した社会的抑圧を取り込み、内面化させられてしまう。呪われた人間を量産する施設だったと言っても大げさではない。もう今後の人生で学校に通うことはないと思うとせいせいするが、私がせいせいするだけでいいのだろうかという思いもある。

 

ーー

 

 ジェンダー規範からの解放。

 私は小さいときから「男の子っぽ」かったし、今でもスカートは絶対に履かない。それで一時期、自分は男になりたいんじゃないかと悩んだことがあった。時が経って、ジェンダー規範意識から解放されているような素敵な女性に出会ったり、性差別について学ぶなかで、自分の気持ちも整理されてきた。男になりたいんじゃないかと悩んでいたのは、女性として扱われるときに多かれ少なかれ内包されている女性差別に抗いたい気持ちと、中性的に振る舞いたいという肯定的な気持ちがごっちゃになっていたのではないか。今改めて考えるとやっぱり、女性差別に抗う気持ちと切り離して、積極的に、中性的に振る舞いたい気持ちが強くある。今ではそれが私なのだからと自信を持って言える。

 

 世の中で見聞きする、フェミニズムを語る女性たちの語りの中には、障害者差別だと感じるような発言が不意に現れることもある。そのたびに「障害者にも興味を持ったらいいのに」と思う。しかし、私だって障害者運動を進めてきた障害当事者に出会うまでは障害者の解放なんて考えてもみなかったし、フェミニズムについてもよく分かっていなかった。人種差別や住んでいる地域による差別、今も私はいろいろな社会問題を見過ごしているだろう。問題意識を持つタイミングは他人に強要されることではない。だったらせめて、私の周りの人が性の平等や障害者運動を身近に感じられるように、私は今の私が大事にしていることを周りに伝えていく。

 

 

2023-08-19

 夏バテがひどい。大好きな料理をする気にならず、肉や米やまともな食事を摂らない日が続きなり、体調を崩して寝込んだりした。

 通っている美容室で2ヶ月半ぶりに髪を切ってもらった。「通っている」と言うとなんだか妙に恥ずかしいのだが、ここへ来るのはもう3回目。「通っている」と言ってしまってもいいだろう。その美容室で、担当のKさんと話す。「最近夏バテしててぇ、料理する気にならないんですよー」と私が言うと「僕ピクルス作ってますよ。カンタン酢に野菜入れるだけっす」と教えてくれる。帰って早速カンタン酢に白菜を漬けた。たしかに楽でおいしいし、酸っぱいものは暑い夏でも食欲が湧く。昔から美容師と話すのが苦手だったけど、Kさんは話していて楽しいので好きだ。

 カットの前に、オーダーの参考に光永(ひなた)という吉本の芸人のインスタを見せた。ボーイッシュ、メンズライクファッションの先輩だと勝手に思っている。インスタの投稿の中にはkeuzesのオーダーメイドスーツを着た写真もあって、やっぱりボーイッシュの人は持ってるんや、といたく感心した。その光永(ひなた)の髪を参考に、今回はマッシュっぽいウルフにしてもらった。

 去年まで髪型やヘアセットにさほど興味が無かったが、あるとき好きな人に髪型のことでなんか言われて(具体的に何を言われたかは全然覚えていないが「なんか言われた」という印象だけはある)、コンプレックスを串刺しにされた気分になった。そこから「髪型に興味は無いが、興味を持ちたい」という強くねじ曲がった動機のもと嫌々ながらカットやセットについて調べ始め、気がつくと自分からセンターパートにしたいとか今日は外ハネにするとか言うようになった。不思議なものだ。

 ルサンチマンやコンプレックス、見て見ぬふりをしている自分の弱いところをズブリと刺される痛みが好き。実際はつらく苦しく惨めな思いをして落ち込むが、心のどこかでは「変わるチャンスだ、ラッキー」と思っている感じ。

 

 以前「自分は積極的に子どもを持ちたいとは思わないが、それは知的障害者の妊娠・出産を否定する差別思想と地続きなのでは」と思ったことがあった。自分のなかに「子育ては大変だから私には難しい」という思いがあるならば、おそらく私の場合よりもっと大変そうな知的障害者の妊娠・出産・育児をどうして応援できるだろうか。差別に抗うためには私の素朴な考えを根本的に変えなくてはいけない。私自身が「子育ては大変だけど、いろんな人の手を借りたら私にもできるだろう」と思わなくてはいけない、と自責したのだった。(〈思わなくてはいけない〉の部分、編集で強調マークを付けたい)

 「思う」という素直な脳の働きを意識的に変容させるのは、「タイプではない人を好きになりなさい」と言うのと同じくらい難しい。でも私は差別に抗いたかった。難しいからと投げ出して、自分は潜在的知的障害者を差別してるんじゃないかという思いにフタをしてしまうのが嫌だった。いや、「差別しない人間になりたい」という強い欲望があった。

 結論から言うと私は「子ども、おってもええかもな」くらいに思うようになった。いらないと突っぱねていた女性が気楽に「おってもええかもな」と思うようになったのは本当にすごいことだ。今改めて、私が勤務するグループホームの利用者様が妊娠・出産を希望したらどうだろうかと想像してみると、私はきっと「いいですねー!」と言って応援する。以前の私はそれが言えなかった。

 私は〈思わなくてはいけない〉を実行したのだ。自分を褒めてあげる。私ってすごい!

 

 

2023-08-13

 以前はほとんど毎日更新していた時期もあったが、ここ2、3ヶ月はすっかりブログから離れてしまっていた。書くことをまったく止めてしまったのではなく、ブログに公開するという習慣から離れていただけで、自分だけが見るノートや日記アプリには毎日なにかしら綴っている。

日々の面白いこと、感動したこと、悩んでいること、その大半が仕事(障害者介護・介助のアルバイト)と恋人に関係することで、どちらも他人のプライバシーに大きく関わることだからブログに書けないのだ。もどかしい。

しかし文章を書くことは私にとって大切な創作活動なのだから、誰にも見せずに書き続けるのもなんというか、息が詰まる感じがする。無理やりにでもブログに書けるようなことを探して書いてみようと、思い立ったが吉日、久しぶりにブログを開いてみる。

 

 先日、飼っていた犬が夢に出てきた。抱きかかえて、散歩する夢。

 

 犬が亡くなったのは去年の9月20日。大きな台風が去った後の、よく晴れた日の朝だった。
私と隣り合って寝ていた犬が、突然しゃっくりのような声を出し始め、慌てて抱きかかえたが、5分ほどで息をしなくなった。おしっこが今までにないくらいたくさん出て、トイレシートを何枚も交換した。さっきまで生きていた犬が急速に死体になっていった。筋肉が硬くなり、舌を触ると冷たかった。
生命活動は不可逆的に終わる。死は取り返しのつかないことなのだと、初めて理解した。

ショックだった。

 

 だからなのか、今まで犬が夢に出てくるときはいつも、死なないで!と思うのにやっぱり死んでしまう夢だった。何度もそういう夢を見た。それほどショックを受けたのだ。

 

 犬が亡くなってから初めて、抱っこして散歩する夢を見た。目が覚めたあと一人で泣いた。
暖かくて、さわると柔らかくて、言葉を交わさなくても私の気持ちをただ黙って聴き入れてくれる、犬は命いっぱいで私をケアしてくれていた。
もう会えないと思うと、今でもつらい。


 「『今までお世話してくれてありがとう』と思っているはず」「天国では元気に遊んでいる」などの言葉には慰められもするが、暖かかった体が冷たくなって、もう二度と元に戻らない。その事実だけはどうしようもなく変わらない。
つらい気持ちを消すことは絶対にできないし、つらいことはつらいまま、明るく生きるしかない。それが死だ。

 

 近頃暑い。昨日は熱中症のような症状が出て、寝込んでしまった。仕事も休んで一日ゆっくり過ごして回復したが、それにしても暑すぎる。
空が黄色い。明日から久しぶりに雨が降る、台風だ。恋人と出かける予定だがどうなるか分からない。台風が過ぎ去ったらまた暑くなるらしい。
明らかに人間が生活できる気候ではなくなってきた。そう遠くないうちに人間は滅びるだろう。そう非現実的な話でもない。
人間が滅びたら天国はどうなるのか。

2023-5-29

 一人暮らしを始めた最初の日に、記念に何か新しいことをしようと考えて始めた「うんちダイアリー」。

 

 

 日々の排便の記録を「#うんちダイアリー」と付けてツイートしている。「#うんちダイアリー」で検索したらわたしの排便状況を見ることができます。かなり便秘気味!

 

 もともとは食事の記録を毎日写真つきでツイートしようかと考えていたんだけど、それだと誰かと一緒にごはんを食べたときにその人のプライベートを暴露してしまうことになるから、代案として排泄物の記録をつけることにしたのだった。さすがに写真は撮らないが。

 誰に弁解するわけでもないのだけど(便だけに)、ウケ狙いでやってるわけじゃない。毎日続けることが目的だったから、なるべく継続しやすいことを色々考えた結果うんちダイアリーが選ばれたのだ。

 気づけばもう101日目。続けてみて「続けやすいことは、続けられるんだな」と思った。わたしは怠惰で飽きっぽい性格だから、頑張って続けるぞ!と気合を入れてしまっていたらこんなに続かない。ただ気合を入れてない分、特に大きな感慨もない。

 

 さて、うんちダイアリーが101日目ということは引っ越してから3ヶ月経ったということだ。久しぶりにブログを開くとちょうど3ヶ月前に書いた記事があった。

 

captainmegumi.hatenablog.com

 

 自立生活センターで介助者として働き始める直前の日記だ。なんというか非常に正直な思いが書かれていて、3ヶ月前の自分に渾身の苦笑いを届けたい。

 

 (前略)感覚的に「障害者は他人の手を借りて生きる存在である」と思ってしまっているところが私にはあるような気がする。(中略)ことさらに障害者を「助けが必要な存在」として規定するような感覚が自分に全くないとは言えない。正直なところ。

 

 前後に「自分の"障害者観"を再構築したかった」、「そういう感覚が消えていくんじゃないかと期待して、今からワクワクしている」と書いていることからわかるように、上記の内容はもちろん自己批判的に書いたのだが……それにしても。

 3ヶ月前のわたしが言う「障害者を『助けが必要な存在』として規定するような感覚」とはつまり「障害者を自分よりも弱き者としか見ていない」ということだ。そうでしょう?そういう差別意識を持っていることを認めてこれから変わろうとして、実際に行動しているのだからあまり責めないであげたいが、今もし友達や家族が3ヶ月前のわたしと同じことを言っていたら普通にむかつくと思う。「障害者のことをよく知らないだけだ」と言い返すと思う。そのとおり、わたしは知的障害者グループホームで2年も知的障害者の方々と関わってきたのに障害者のことを全然知らなかったのだ。

 

 介助のバイトを始める前のわたしは「そういう(障害者を『助けが必要な存在』として規定するような)感覚が消えていくんじゃないかと期待して」いたが、では実際に障害者の介助のバイトをするようになってどうなったかというと、その感覚はバイトに入った最初の日に、消えた。

 たしかに助けは必要だが、取り立てて言うようなことではない。なんというか……わたしは視力が0.1未満だからメガネかコンタクトがないと日常生活に支障をきたすのだが、逆にメガネかコンタクトがあれば自由に暮らせるわけで、障害者が必要とする介助はそういうことのグラデーションなのだ。他人の助けを借りないとトイレができない。服を着替えられない。でも他人の助けを借りればトイレはできるし服も着替えられます、以上。本当にそれだけのこと。

 難しいことを考えようとせず、ただ同じ空間で過ごして、話して、知ればいい。それだけのことだったんだと思ったら文章打ちながら泣きそうになってきちゃった。