2023-12-20

 朝、7時半くらいに目が覚める。深夜に暑くて布団を蹴り飛ばして逆に寒くなって起きちゃったせいで、頭も体も重たくぼーっとしている。布団の中でTwitterの、いやXの、イスラエル兵士の非人道的な行動を取り上げた英語の引用リツイート、いやリポストを読んだり、おすすめに流れてくるBL漫画を眺めたりして、ぼーっとしたまま過ごす。薄暗い部屋でスマホの画面に釘付けになり、目が眩むような光を集中力に浴びる。私は確実にスマホ(特にTwitter)依存症だ。用もないのに気づいたらTwitterを見てしまう、特に面白いわけでもないし目もしんどいのに止められない、これは一種の自傷行為だと自分でも思うのだが、そう思うと余計に止められなくなるのでなるべく自傷行為ではないと考えるようにしている。8時半くらいにようやく布団から出ようという気になる。カーテンを開けると明るい日差しが差し込んで健康的に目が眩む。今日は休みだ。

 朝ごはんの準備をする。卵焼き用のフライパンに薄切りベーコン4枚を並べ、強火で焼いて底をカリカリにしてから卵1つ割り入れ、弱火でフタをして目玉焼きのせベーコンを作る。フジパン本仕込みの8枚切りを2枚、トーストにする。お湯を沸かしてインスタントのカップスープを作る。かぼちゃを1口大に切ってレンジで5分チンして、ドレッシングをかけて簡単なかぼちゃサラダができる。あとはヨーグルトに蜂蜜ときなこを入れてよく混ぜる。パンが焼けたらレタス1枚ちぎって、目玉焼きのせベーコンとレタスを焼きたてのトーストで挟む。もう何週間も、だいたい毎日この朝ごはんを食べている。

 よく噛んで、1時間くらいかけてゆっくり食べる。食べながら、BROTHER SUN SISTER MOON 惠愛由とLaura day romance 井上花月Podcast『Call If You Need Me』を聴く。学校で性差別的な発言をした先生がいて、女性の友達同士で連帯して勇気を出して抗議した、という話。私の大学時代にも性差別発言を繰り返す教授がいたなと思い出す。授業中に腹痛を訴えた女性の学生にたいして「妊娠したんか」と笑って言った教授。一瞬で教室の空気が凍りついたのを憶えている。

 思い返すと学校、特に私が体験した環境は異常に閉鎖的だった。教育を受けて成長するどころか、閉鎖空間に充満した社会的抑圧を取り込み、内面化させられてしまう。呪われた人間を量産する施設だったと言っても大げさではない。もう今後の人生で学校に通うことはないと思うとせいせいするが、私がせいせいするだけでいいのだろうかという思いもある。

 

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 ジェンダー規範からの解放。

 私は小さいときから「男の子っぽ」かったし、今でもスカートは絶対に履かない。それで一時期、自分は男になりたいんじゃないかと悩んだことがあった。時が経って、ジェンダー規範意識から解放されているような素敵な女性に出会ったり、性差別について学ぶなかで、自分の気持ちも整理されてきた。男になりたいんじゃないかと悩んでいたのは、女性として扱われるときに多かれ少なかれ内包されている女性差別に抗いたい気持ちと、中性的に振る舞いたいという肯定的な気持ちがごっちゃになっていたのではないか。今改めて考えるとやっぱり、女性差別に抗う気持ちと切り離して、積極的に、中性的に振る舞いたい気持ちが強くある。今ではそれが私なのだからと自信を持って言える。

 

 世の中で見聞きする、フェミニズムを語る女性たちの語りの中には、障害者差別だと感じるような発言が不意に現れることもある。そのたびに「障害者にも興味を持ったらいいのに」と思う。しかし、私だって障害者運動を進めてきた障害当事者に出会うまでは障害者の解放なんて考えてもみなかったし、フェミニズムについてもよく分かっていなかった。人種差別や住んでいる地域による差別、今も私はいろいろな社会問題を見過ごしているだろう。問題意識を持つタイミングは他人に強要されることではない。だったらせめて、私の周りの人が性の平等や障害者運動を身近に感じられるように、私は今の私が大事にしていることを周りに伝えていく。

 

 

2023-08-19

 夏バテがひどい。大好きな料理をする気にならず、肉や米やまともな食事を摂らない日が続きなり、体調を崩して寝込んだりした。

 通っている美容室で2ヶ月半ぶりに髪を切ってもらった。「通っている」と言うとなんだか妙に恥ずかしいのだが、ここへ来るのはもう3回目。「通っている」と言ってしまってもいいだろう。その美容室で、担当のKさんと話す。「最近夏バテしててぇ、料理する気にならないんですよー」と私が言うと「僕ピクルス作ってますよ。カンタン酢に野菜入れるだけっす」と教えてくれる。帰って早速カンタン酢に白菜を漬けた。たしかに楽でおいしいし、酸っぱいものは暑い夏でも食欲が湧く。昔から美容師と話すのが苦手だったけど、Kさんは話していて楽しいので好きだ。

 カットの前に、オーダーの参考に光永(ひなた)という吉本の芸人のインスタを見せた。ボーイッシュ、メンズライクファッションの先輩だと勝手に思っている。インスタの投稿の中にはkeuzesのオーダーメイドスーツを着た写真もあって、やっぱりボーイッシュの人は持ってるんや、といたく感心した。その光永(ひなた)の髪を参考に、今回はマッシュっぽいウルフにしてもらった。

 去年まで髪型やヘアセットにさほど興味が無かったが、あるとき好きな人に髪型のことでなんか言われて(具体的に何を言われたかは全然覚えていないが「なんか言われた」という印象だけはある)、コンプレックスを串刺しにされた気分になった。そこから「髪型に興味は無いが、興味を持ちたい」という強くねじ曲がった動機のもと嫌々ながらカットやセットについて調べ始め、気がつくと自分からセンターパートにしたいとか今日は外ハネにするとか言うようになった。不思議なものだ。

 ルサンチマンやコンプレックス、見て見ぬふりをしている自分の弱いところをズブリと刺される痛みが好き。実際はつらく苦しく惨めな思いをして落ち込むが、心のどこかでは「変わるチャンスだ、ラッキー」と思っている感じ。

 

 以前「自分は積極的に子どもを持ちたいとは思わないが、それは知的障害者の妊娠・出産を否定する差別思想と地続きなのでは」と思ったことがあった。自分のなかに「子育ては大変だから私には難しい」という思いがあるならば、おそらく私の場合よりもっと大変そうな知的障害者の妊娠・出産・育児をどうして応援できるだろうか。差別に抗うためには私の素朴な考えを根本的に変えなくてはいけない。私自身が「子育ては大変だけど、いろんな人の手を借りたら私にもできるだろう」と思わなくてはいけない、と自責したのだった。(〈思わなくてはいけない〉の部分、編集で強調マークを付けたい)

 「思う」という素直な脳の働きを意識的に変容させるのは、「タイプではない人を好きになりなさい」と言うのと同じくらい難しい。でも私は差別に抗いたかった。難しいからと投げ出して、自分は潜在的知的障害者を差別してるんじゃないかという思いにフタをしてしまうのが嫌だった。いや、「差別しない人間になりたい」という強い欲望があった。

 結論から言うと私は「子ども、おってもええかもな」くらいに思うようになった。いらないと突っぱねていた女性が気楽に「おってもええかもな」と思うようになったのは本当にすごいことだ。今改めて、私が勤務するグループホームの利用者様が妊娠・出産を希望したらどうだろうかと想像してみると、私はきっと「いいですねー!」と言って応援する。以前の私はそれが言えなかった。

 私は〈思わなくてはいけない〉を実行したのだ。自分を褒めてあげる。私ってすごい!

 

 

2023-08-13

 以前はほとんど毎日更新していた時期もあったが、ここ2、3ヶ月はすっかりブログから離れてしまっていた。書くことをまったく止めてしまったのではなく、ブログに公開するという習慣から離れていただけで、自分だけが見るノートや日記アプリには毎日なにかしら綴っている。

日々の面白いこと、感動したこと、悩んでいること、その大半が仕事(障害者介護・介助のアルバイト)と恋人に関係することで、どちらも他人のプライバシーに大きく関わることだからブログに書けないのだ。もどかしい。

しかし文章を書くことは私にとって大切な創作活動なのだから、誰にも見せずに書き続けるのもなんというか、息が詰まる感じがする。無理やりにでもブログに書けるようなことを探して書いてみようと、思い立ったが吉日、久しぶりにブログを開いてみる。

 

 先日、飼っていた犬が夢に出てきた。抱きかかえて、散歩する夢。

 

 犬が亡くなったのは去年の9月20日。大きな台風が去った後の、よく晴れた日の朝だった。
私と隣り合って寝ていた犬が、突然しゃっくりのような声を出し始め、慌てて抱きかかえたが、5分ほどで息をしなくなった。おしっこが今までにないくらいたくさん出て、トイレシートを何枚も交換した。さっきまで生きていた犬が急速に死体になっていった。筋肉が硬くなり、舌を触ると冷たかった。
生命活動は不可逆的に終わる。死は取り返しのつかないことなのだと、初めて理解した。

ショックだった。

 

 だからなのか、今まで犬が夢に出てくるときはいつも、死なないで!と思うのにやっぱり死んでしまう夢だった。何度もそういう夢を見た。それほどショックを受けたのだ。

 

 犬が亡くなってから初めて、抱っこして散歩する夢を見た。目が覚めたあと一人で泣いた。
暖かくて、さわると柔らかくて、言葉を交わさなくても私の気持ちをただ黙って聴き入れてくれる、犬は命いっぱいで私をケアしてくれていた。
もう会えないと思うと、今でもつらい。


 「『今までお世話してくれてありがとう』と思っているはず」「天国では元気に遊んでいる」などの言葉には慰められもするが、暖かかった体が冷たくなって、もう二度と元に戻らない。その事実だけはどうしようもなく変わらない。
つらい気持ちを消すことは絶対にできないし、つらいことはつらいまま、明るく生きるしかない。それが死だ。

 

 近頃暑い。昨日は熱中症のような症状が出て、寝込んでしまった。仕事も休んで一日ゆっくり過ごして回復したが、それにしても暑すぎる。
空が黄色い。明日から久しぶりに雨が降る、台風だ。恋人と出かける予定だがどうなるか分からない。台風が過ぎ去ったらまた暑くなるらしい。
明らかに人間が生活できる気候ではなくなってきた。そう遠くないうちに人間は滅びるだろう。そう非現実的な話でもない。
人間が滅びたら天国はどうなるのか。

2023-5-29

 一人暮らしを始めた最初の日に、記念に何か新しいことをしようと考えて始めた「うんちダイアリー」。

 

 

 日々の排便の記録を「#うんちダイアリー」と付けてツイートしている。「#うんちダイアリー」で検索したらわたしの排便状況を見ることができます。かなり便秘気味!

 

 もともとは食事の記録を毎日写真つきでツイートしようかと考えていたんだけど、それだと誰かと一緒にごはんを食べたときにその人のプライベートを暴露してしまうことになるから、代案として排泄物の記録をつけることにしたのだった。さすがに写真は撮らないが。

 誰に弁解するわけでもないのだけど(便だけに)、ウケ狙いでやってるわけじゃない。毎日続けることが目的だったから、なるべく継続しやすいことを色々考えた結果うんちダイアリーが選ばれたのだ。

 気づけばもう101日目。続けてみて「続けやすいことは、続けられるんだな」と思った。わたしは怠惰で飽きっぽい性格だから、頑張って続けるぞ!と気合を入れてしまっていたらこんなに続かない。ただ気合を入れてない分、特に大きな感慨もない。

 

 さて、うんちダイアリーが101日目ということは引っ越してから3ヶ月経ったということだ。久しぶりにブログを開くとちょうど3ヶ月前に書いた記事があった。

 

captainmegumi.hatenablog.com

 

 自立生活センターで介助者として働き始める直前の日記だ。なんというか非常に正直な思いが書かれていて、3ヶ月前の自分に渾身の苦笑いを届けたい。

 

 (前略)感覚的に「障害者は他人の手を借りて生きる存在である」と思ってしまっているところが私にはあるような気がする。(中略)ことさらに障害者を「助けが必要な存在」として規定するような感覚が自分に全くないとは言えない。正直なところ。

 

 前後に「自分の"障害者観"を再構築したかった」、「そういう感覚が消えていくんじゃないかと期待して、今からワクワクしている」と書いていることからわかるように、上記の内容はもちろん自己批判的に書いたのだが……それにしても。

 3ヶ月前のわたしが言う「障害者を『助けが必要な存在』として規定するような感覚」とはつまり「障害者を自分よりも弱き者としか見ていない」ということだ。そうでしょう?そういう差別意識を持っていることを認めてこれから変わろうとして、実際に行動しているのだからあまり責めないであげたいが、今もし友達や家族が3ヶ月前のわたしと同じことを言っていたら普通にむかつくと思う。「障害者のことをよく知らないだけだ」と言い返すと思う。そのとおり、わたしは知的障害者グループホームで2年も知的障害者の方々と関わってきたのに障害者のことを全然知らなかったのだ。

 

 介助のバイトを始める前のわたしは「そういう(障害者を『助けが必要な存在』として規定するような)感覚が消えていくんじゃないかと期待して」いたが、では実際に障害者の介助のバイトをするようになってどうなったかというと、その感覚はバイトに入った最初の日に、消えた。

 たしかに助けは必要だが、取り立てて言うようなことではない。なんというか……わたしは視力が0.1未満だからメガネかコンタクトがないと日常生活に支障をきたすのだが、逆にメガネかコンタクトがあれば自由に暮らせるわけで、障害者が必要とする介助はそういうことのグラデーションなのだ。他人の助けを借りないとトイレができない。服を着替えられない。でも他人の助けを借りればトイレはできるし服も着替えられます、以上。本当にそれだけのこと。

 難しいことを考えようとせず、ただ同じ空間で過ごして、話して、知ればいい。それだけのことだったんだと思ったら文章打ちながら泣きそうになってきちゃった。

 

2023-03-24

思いつき日記

 

 野菜を買う。

 

 近所の商店街にある八百屋でプラスチックの青いざるに入れて店の外に並べられ、激安価格で売られている野菜を見かけたら絶対に買ってしまう。白菜、ほうれん草、じゃがいも。

 おトクやん、と思って。

 冷蔵庫の中も、常温保存用の100均で買ったプラスチックのかごの中も、安売り野菜でいっぱいになる。

 この食材たちが傷まないうちにどうやって消費していこうかと、そればかり考えるようになる。ごはんは一度にたくさん作ってバイトのお弁当用に置いておく。米もいっぱい炊いて冷凍する。急いでいるときに冷凍の米が尽きて食べるものがない!という状況が生まれることが怖い。でも冷凍して放置しすぎてもよくないんじゃないか、作り置きのおかずも何日後まで食べれるのかわからない。小腹が空いたときに食べようと買った食パンは結局全然食べていない。賞味期限3日過ぎてるけどまだ食べられるかなぁ。パスタを作ってソースをディップするときに使えばいいのか。

 毎食、これ以上は食べたくない、と感じるまで食べたい。米はおかわりできるから好き。

 

 最近バイト先でレポートを書きました。

 

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【強制不妊手術について】

 北海道江差町にある社会福祉法人あすなろ福祉会が運営するグループホームの入居者が、職員に不妊手術を提案され、8組16人が手術に応じた事件について。

 「グループホームでしか暮らせない」「職員がいないと生きていけない」と深く思い込まされてきた障害者にたいして、職員が不妊手術の提案をするということは、事実上の強要です。望まない形で手術を受け、自身のからだを変えられた方々のことを思うと怒りや悲しさ、悔しさで胸がいっぱいです。今回の事件は、人が「その人らしく生きる」という人間としてあたりまえに持っている尊厳をうばったものであり、およそ許すべきものではありません。あすなろ福祉会および全ての福祉団体において、同じ事件が二度と繰り返されないことを願います。

 さて、このような事件が起こった背景には、あすなろ福祉会理事長・樋口英俊氏の「養育不全になった時に誰が責任を取るのか」という発言に含まれるような"親が責任をもって子どもを養い育てるべき"という社会全体の価値観があるのではないかと考えます。

 私は現時点で、パートナーとの間に子どもを作りたくない・欲しくないと考えています。理由のひとつは、現代の日本で子どもを育てていくことが経済的・体力的・精神的に非常に「たいへん」だと思うからです。しかしこの考えは間違いなく、"親が責任をもって子どもを養い育てるべき"という価値観に基づいています。私が子どもを持つかどうかは私の自由ですが、今回の事件について改めて考えたときに、私が子育てを「たいへん」だと思っていることは樋口氏の差別発言と地続きなのではないかと感じ、戦慄しました。私はホーム●●でアルバイトとして働いていますが、●●の入居者の方が妊娠・出産した場合に紹介できる子育て支援サービスはどのようなものか、アルバイトとしてどのように動けばよいかといった知識や経験がありません。加えて、自分自身でさえも子育ては「たいへん」だと思っているのです。ホーム●●の入居者の方が「子どもが欲しい」とおっしゃったとき、今のままでは心の底から応援することができないと感じました。

 自分の生活に他人の支援を必要とする障害者が子どもを育てるとき、必然的に子育てに他人が介入することになります。それでいいのです。何の問題もありません。たくさんの人の力を借りて、たとえ「親同然の介助者がいる」という状況になってもいいのです。"親が責任をもって子どもを養い育てるべき"ではなく"子どもは社会全体的で育てるもの"という意識があれば、グループホーム入居者カップルに不妊手術を提案するような思考に至ることはなかったかもしれない。子育てに限ったことではありませんが、何でも自分ひとりが責任を取らなければいけないのでなく、「人は誰しも他人の支援を必要として生きている」という認識が広まれば「障害者は他人の支援が必要な存在」と区別されることもなく、子どもも育てやすくなると思います。話が大きく膨らんでしまいましたが、私自身がこうした価値観を深く信じて生きていくことが、今回のような事件に対抗するための小さいけれど絶対に必要な一歩になると思いました。また、地域の子育て支援サービスについて知っておくこともグループホームスタッフとして必要だと感じました。

 

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 楽しい内容ではないけど、書きながらやっぱり書くという行為が好きだなと思った。好きというのは違うな、考えを文章にするという行為が私にとって自然で気持ちいいことであるということ。

2023-02-28

 最近あったいいこと

 

 去年の冬に中西正司「自立生活運動史」を読んで、障害者の自立生活を実現するための理念と戦略的思考にものすごく感動して、この自立生活センターというところで身体障害者の介助をしてみたいと強く思った。その夢を叶えるために引っ越しとか資格とか前のバイト先とどうやって掛け持ちするかとかの具体的な道筋を立てていき、「自立生活運動史」を読んだ日からおよそ3ヶ月後の今、自立生活センターのバイトに採用されて、夢が現実になった。これってすごくないですか?来月から働き始めるのがとても楽しみ。

 そもそも身体障害者の介助をしてみたいと思ったのは、自立生活の理念を持っていらっしゃる方の介助に入ることで身体障害者が介助を受けながら当たり前に生きるとはどういうことかを肌で学び、自分の"障害者観"を再構築したかったから。

 障害者が施設やグループホームを利用せずに生きる現場を私は知らない。だからこそ、障害者が一人暮らしなんて無理なんじゃないかとか(実際に一人暮らししてる障害者はいるので、無理なわけないのだが)感覚的に「障害者は他人の手を借りて生きる存在である」と思ってしまっているところが私にはあるような気がする。もちろん人間はみんな他人に助けられて生きているんだから障害者も人間という意味ではこれは正しいが、そうではなくて、ことさらに障害者を「助けが必要な存在」として規定するような感覚が自分に全くないとは言えない。正直なところ。

 変な話かもしれないが、一人暮らしされている方の介助に入って自立生活とはどういうものかを拝見することでそういう感覚が消えていくんじゃないかと期待して、今からワクワクしている。

2023-1-5

 風邪っぽいので近くの病院へ。歩いて行ける距離だが「車で来てください」と病院から指示があったので、親の車を借りて向かった。病院では患者どうしの接触を避けるために次のような手順が定められていた。あらかじめ車の色やナンバーを伝え、敷地内の指定された場所に車を停める。駐車場のそばにコロナやインフルエンザの検査場が設けられており、そこで鼻に細い綿棒のようなものをつっこまれる例の検査をする(信じられないくらい奥までつっこまれる)。結果がわかるまで30分車の中で待機する。2、3分だけ館内に入ることを許され、医者の診察を受ける。ふたたび車に戻り、待機。最後に防護服を着た看護師がやってきて、運転席のドア越しに精算のやりとりをしてくれる。

 なるほど合理的だが、徒歩で来る(車で来られない)患者のことを全然考慮していなくて強気だなと少しおどろいた。郊外だからたいがいの家庭は車を持っているという前提で考えたのか。じっさい私が観察した範囲では徒歩で来たと思われる患者はいなかった。

 綿棒を入れられた鼻の奥が痛かった。

 

 車で待っている間、ヒマなので今ハマっている『ENVii GABRIELLA』(エンヴィ ガブリエラ)の『あなたが私を綺麗にする訳じゃないの』を車のオーディオで流す。走行中は低音域が聞こえづらいけど止まっている間はベースがちゃんと聞こえていいな、としばらく浸っていた。

youtu.be

 帰る頃になって車のキーを回すと、「キュキュキュキュキュ………(シーン)」とエンジンが掛からない。

 あれ?と思い、焦って何度もエンジンスタートを試したものの同じことのくり返し。親に電話すると「車で音楽かけてた?」と聞かれる。

 世間知らずの私は「バッテリーが上がる」という言葉の意味を今日初めて知ることになった。親との電話で、車のエンジンをかけずに音楽を流したり電気を使っていると電圧が下がってエンジンが始動できなくなるということを教えてもらい、とりあえず父が車の様子を見に行くからあなたは歩いて帰ってくるようにと言われる。親に謝罪し、肩を落として家に帰る。歩きながらバッテリー女の2chコピペを思い出して不愉快になった。

 帰宅してしばらくすると車をガレージに停める音がする。父が帰ってきた。待っているうちに電圧が回復してエンジンが掛かったらしい。改めて親に謝罪する。知らなかったから勉強になったと言うと「お母さんの頃は常識だった」と返される。