2022-03-07

過去を捏造してしまう癖があるので、以下の話は事実でないかもしれません。

 

高校卒業後の2016年度に現役で入学した大学を4年と半年で卒業し、22歳(早生まれ)の10月から実家暮らしの無職になった。家事もするし、近所の人と会話もするし、友達と遊びに出かけることもあるし、完全に社会と隔たった生活を送っているわけではなかったけど、私は大卒で実家暮らしの無職なんだ、という思いがあった。仕事のことを聞かれたときは就活をするつもりもないのに「これから探す」と言って誤魔化した。

でも絶対に、「自分はダメなやつだ」と思うことだけはやめようと決めていた。親のスネをかじるダメ人間、という言葉が頭をよぎるたびに、それ以上そういうことを考えるのはやめよう、別のことを考えよう、いや、とにかく考えるのをやめよう、という訓練をしていた。

 

学生の頃、友達が「自分はダメなやつだ」と言ったときに、私もずっと同じように考えていたから「あなたはダメなやつじゃない、最高に才能のある人だ」と返すことができなかった。友達は数か月後に死んだ。私は私が「自分はダメなやつだ」と考えていたことが友達を殺したと思った。私も死んだのかもしれないと思った。

だから次に友達に会ったときには心を込めて「あなたは最高に才能のある人だ」と伝えるために、私は心から「私は最高に才能のある人だ」と信じなければいけないと思った。

 

そういうわけで実家に帰ってからは、せっかく何もすることがないので「何もしてないけど全然ダメじゃない」と自分を洗脳するようにして、とにかく気を緩める訓練を続けた。気を緩める訓練と聞くとおかしいかもしれないけど、「自分はダメなやつだ」と思っている人は気を抜く回路がショートしているから訓練しないと気を抜くことができない。

そして毎日気を緩める訓練を続けて1ヶ月ほど経ったある晴れた日の午後、一瞬「自分はダメなやつじゃないかも、死んだ方がいいと思ってたけど、それはそうかもしれないけど、なんか生きててもいいかも」という感覚が風のように流れていった。

22年間生きていて初めての感覚だった。

「死んだ方がいいのはそうかもしれないけど、それはそれとして、気持ちとしてはなんか生きててもいいかも」と感じることだけが生きる糧になると、その瞬間に思った。