2022-07-28

 昨日と今日でマインド・ゲー厶と劇場版ピングドラム後編を観た。どちらも大好きだが両者が提示する価値観や作品に込められたメッセージは対称的というか、ほとんとねじれの位置にある。

 思想的な話になるが、ピンドラでは愛と呪いの輪廻を軸にして神話的な物語が展開される一方で、マインド・ゲームは序盤でいきなり主人公が無意味に殺され、死後の世界で情けない人生を嘆く主人公にたいしては神様がいっさいの同情なしに「戯れで人間を作った」と身もフタもないことを言うのである。仮にピンドラを[苹果(pingguo)→運命の果実→エロス]と[ペンギン(penguin)→ピングフォース・企鵝の会→タナトス]をテーマにした作品とするならば、マインド・ゲームはそうした精神分析の枠組みを超えたところにある作品と言える。偶然性に耐えうるしなやかさを持っているという点ではマインド・ゲームの方が数歩先を行く作品だと思う(くらべることでもないが、たまたま二作品を続けて観たので)。

 ピンドラは悲しくも美しい神話として好きだったので、劇場版の追加部分で冠葉と晶馬の幸せが示唆されたのは正直言ってつまらなかった。色々あって主人公が「補完」されてしまうと「めでたしめでたし。ハイ、おしまい」と言われた気分になる。どうしても悲劇のエロさの方に惹かれてしまうのだ。