2022-07-03

朝起きてすぐに布団を片付け、掃除機をかける日課をこなす。質にこだわらずとにかく毎日日記を書くという習慣が作用して、おかしな表現だが日課に「耐え得る」強度が生まれている。昔は自分で決めた日課なんて三日と続かなかった。日課は楽しい。

昼ごはんにチキンライスを食べる。ダウンタウンとマッキーの『チキンライス』の「思ってたよりでかいな」という歌詞がすごいという話をする。松ちゃんはムキムキになる前の方が面白かったと父が言う。

YouTube Musicのラジオ機能を初めて使ってみた。自分が高評価をつけた曲を頼りに好きそうな曲をオススメしてくれるのだがどういう仕組みで選んでいるのか全く分からない。アルゴリズムがどうとか説明されたところで私に理解できる日が来るとは思えないし。しかし確実に私好みの、それでいて絶妙に聴いたことがないような曲を流してくれるので、気に入って今日はずっと流しっぱなしにしている(今も)。生きて心の通った人間が何らかの根拠をもって選曲してくれる本当のラジオの方がいいに決まっていると保守的な態度を取っていたが、別に人間の根拠だって完全に信用できるものではない。

何も考えない練習をするなどと宣言しておきながら、風呂場でまた考え事をする。私の周りにいる優れた作家、世間には作家と思われていなくても私にとっては作家に見える人、たちの顔を思い浮かべる。言われてみれば確かに、と思うようなことから、言うまでもなく当たり前だと感じるようなことでも、その反応を踏まえた上で構わず発表する人。発表するという行為はその内容に「発表された内容である」という更なる意味を与える。発表されることで内容は違った意味を持つ。たとえば好きなものを好きと思っていることと、好きと言うことは大きく違う。中村佳穂さんの大好きな曲『アイミル』の歌詞に「世界は言ったもんで作られていくわ/たくさん“言うのだ”」というフレーズがある。まるで聞き手に作家になることを薦めているようである。私は、『アイミル』は愛する人々に向けてうたう歌だと解釈しているが、それは私の好きな人たちが私にとって作家だからだ。